首都ウランバートルから西に約350キロ離れた草原の中央部にカラコルムがあります。カラコルムと言う意味は“黒い石”という意味です。
モンゴル帝国の首都カラコルム市がどこに位置していたのかは昔から研究者の間で大きな謎でした。1889年ロシア人のヤドリンツェブが“エレデ二ゾー”寺院の近くに大きな都市の遺跡を発見しました。その一年後、1890年にはラドロブがその寺院の保塁壁、カラコルムの記録、ハーンの指令などが書かれた大きな石碑を発見しました。この調査からカラコルムの位置が確定されました。そして、1912年にコトロビッチ氏がラドロブのエレデ二ゾーから発見した記録書が“元朝必史”の内容と三つの項目で一致したことを明らかにしました。
首都カラコルムはモンゴル帝国の首都として32年間でした。1235年チンギスハーンの3番目の息子であるオゴタイハーンによって建造された宮殿がありました。しかし、今は何も残っていません。現在のカラ コルムは人口2万人の小さな町です。このオゴタイハーンはわずか13年間の治世を行いましたが1241年56才で病死しています。病気にもかかわらず狩りに出かけ、夜遅くまで酒を飲んで翌朝寝床に伏したまま死んでしまったと言われています。現在、この宮殿跡には64本の柱の基礎が残っています。宮殿の床は緑の敷石で、壁には様々な絵が書かれており、屋根は赤や緑の陶器製の瓦をふいて仕上げていました。庭園には楽器を引くエンジュル像があり、お祭りや祝宴会用の豪華な造りとして建設されたのです。宮殿の近くには石の亊の彫刻物が現在も残っています。
モンゴル帝国の政治は宗教を差別せず、公平に敬っていたため、カラコルム市に仏教、キリスト教、イスラム教の、12軒の寺院がありました。郊外にはイスラム教寺院が二つ、キリスト教会が一つありました。カラコルムは1215年と1268年の2回大きな火事にあっています。他にも、中華民族によってなんども(1380-1466年)破壊されていますが、その度に修復していたのです。
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